こんにちは、よくばりたびこのチカです。
さて、長年のヨーロッパフリークでフランスにも住んでしまったわたしが、なぜいま台湾を、住みたいほど好きになっちゃったのかという話の後編です。
すこし長いけれど、最後まで読んでいただけたら嬉しいです!
2019年のゴールデンウィーク10連休、わたしは初めて台湾に行った。
小籠包も路地裏もよかったけれど、思い出すのは多くの現地のひとと言葉を交わしたこと。
本来、言葉の通じない外国では、言葉を交わすなんて必要な時だけだと思っていたのに、台湾ではいつのまにか会話が始まっているのだ。
もちろん中国語はおろか、英語もカタコトなのに。
さてわたしは台湾で、どんな人たちに出会ったのか?
さいごに、台北で会ったふつうのおじさんの話をしたい。
劇的な展開もなにもないけれど、『わたしなんだか、台湾になじんでいるかも』と思わせてくれたおじさんだ。
台北のおじさん
スターバックスコーヒーとしてリノベーションされている台北の萬華林宅を見学をしたあとのこと。近くの駅まで歩いて行くと、改札が閉まっている。
近くにいた駅員のおばさんに聞くと、いま改札は別の駅舎で行っているようだということが身振りでわかった。
都合よく、同じように改札を探しているらしいおじさんがいたので私たちは後ろをチョコチョコついて行くことにした。
おじさんは下着みたいな綿の白いシャツに短パンで、台湾のおじさんの標本みたいな格好をしている。
たぶん、台湾で言うところの「ふつうのおじさん」だ。
ふつうのおじさんは道路を渡って、別の駅舎らしき場所にたどり着いたのだが、係の男性に何かを聞くと、建物を離れてまた歩き出した。
「あれ?ここじゃなかったのかあ改札‥」と思いまたおじさんにチョコチョコついて行く私たち。
しかし数歩進んだところでおじさんがパッと振り向いた。
そして、
「もうこっちじゃないよ、改札そっちだよ!」
と(思われる言葉を)中国語で言った。
ええ! そうなの? ゴメン、ごめんなさいねとあわてる私たち。
おじさん、やっぱりついて来られている気になってたんだろうか。申し訳ないんだけれどもなんだかおかしくて、笑いがこみ上げてくる。
私たちが理解したことを見届けて、去っていったおじさん。
改札を探していたわけではなかったらしい。
特に愛想のないあまりにも普通のこのおじさんを、なんだかわたしは忘れられない。
理由はたぶん、『何の変哲もないできごと』でわたしを台湾に溶け込ませてくれたから。
それはおじさんが、わたしが何者であるかなんて関係なくほかのひとにするのと同じように接してくれたから、実現したのだ。
・・・それにもうひとつ、「知らない外国人ふたりにチョコチョコついてこられるおじさんの図」がこっそり面白いというのもけっこう大事な理由だ。
ふつうのおじさんがいとおしくなってしまう台湾は、不思議で、かわいくて、尊敬する。
さて、わたしが台湾で出会ったひとたち。紹介したのは3人だけれど、実際は、もっとたくさんの物語があった。
決してこちらもちやほやされたいと思っているわけではない。
けれど彼らは、日本語を話せるなら進んで私たちの力になろうとしてくれるし
そうでなくたって差別せず、敬遠せず、そこにいる人間として私たちを認め、当たり前に接してくれる。
これが、フランスだとどうだったろうか。
全てが一概に言えないのは当然だが、経験として話したい。
フランスに住んでいた時、アジア人であるがゆえなのか、嫌な思いをすることは少なくなかった。
若者から、ニヤニヤしながら「ニイハオ!」と言われるのはもう何も思わなくなったけれど、会計をするときに一言も口をきいてもらえなかったり、お釣りを手に触れないように落とし渡されたりするのはちょっとへこむ。
対して、台湾には外の人を受け入れるおおらかさがあるのだろうか。
『道徳観』のような教育めいたものでなく、
いち人間として当たり前の、見返りのないふんわりとした優しさを持っている気がする。
それは、「わたし、ここにいてもいいのかも。」と思えるような居心地の良い『場所』をつくってくれる。
フランスでも苦い経験の一方、笑顔で言葉を交わしあう、居心地の良い『場所』がわたしにはあった。そこでは、人とのかかわりが毎日を作っていた。
どんなに町がすてきだって、おしゃれだって、社会=人とのかかわりが軽薄な場所はすぐに飽きてしまう。
でも台湾ではきっと、そんな心配をする必要はないのかもしれない。
知らないおじさんと、世間話をしながら暮らす生活って、どんなかなあ。
これが、台湾に住みたくなる理由。
1年後は台中あたりでアパートを探していたらどうしようと思いながら、小さな台湾ビールグラスをかたむけている夏のおわりです。